10月は、2年前に会社を休職した時期なので、いろいろと思い出して気分の浮き沈みが激しくなります。
でも、しっかり休んでリワークに通ったことで、今の自分があると考えています。
沈んだら沈んだなりに、低空飛行しながら日々を乗り切れるようになりました。
無理をして墜落するようなことは、なるべく繰り返したくありません。
今回のテーマは、12番目の思考エラーです。
「選択」と「強制」の混同について解説します。
この考え方を取り入れたおかげで、復職後は、自分で自分を追い詰めるような場面が随分と減りました。
したくないことをしなければならない状況に追い込まれたと感じると、私たちはいつでも恨みを抱きます。そのことを嫌いであればあるほど、より強く強制されたと感じ、より強い恨みを抱きがちです。
私たちが何かを強制されるという唯一のときは、暴力で威圧され、意志に反する何かをさせられるときです。そうでなければ、何かをするとき、それがどれだけ嫌いなことであっても、私たちはそれを選んでいるか、それをすると決心しているのです。
(リワーク配布資料より抜粋)
この言葉をリワークで聞いて、私は目から鱗が落ちる思いでした。
本当に「強制」されていることなど、この国では、ほとんど無いのです。
暴力によって従業員を支配している会社があるとしたら、それはブラック企業というより犯罪組織です。
しかるべき機関に通報しましょう。
もちろん、殴る蹴る暴力がなかったとしても、理不尽な異動や解雇をちらつかせて脅してくるパワハラ上司の存在は無視できませんので、「強制」されてないと言われても、釈然としないかもしれません。
しかし、自分のキャリアを守るために上司の言いなりになるというのも、結局は自分自身の選択なのです。
私は、自分らしくない生き方を会社に強制されているという恨みを抱いていました。
夜遅くまで残業し、飲み会は終電ギリギリまで付き合うことがサラリーマンの美学であると指導するような古い体質の会社に属しているので、上司に気に入られるためには無理をしてでも組織の色に染まるしかないと考えていたのです。
私の選択肢は、「会社に尽くしてスピード出世を勝ち取る」という価値観でフィルタリングされていたため、極端に少なくなっていました。
選択肢が少ないと、何事も「強制」されていると感じてしまうということが、私の経験則です。
例えば自分で選べると思っている選択肢が一つしかなかったら、それは自分で選んだとしても、実質的には「強制」されたと感じてしまいますよね。
複数の選択肢を持てば、自分で選んだという納得感が得られます。
そのためにも、何かに縛られるのではなく、柔軟に物事を考えることが大切なのです。
以前、「べき思考」について記事に書きましたが、そこで紹介した手法を用いれば、考え方を柔軟にすることできます。
洋服の色を選ぶときや、セットメニューのドリンクを選ぶときなど、日常生活における選択の場面でも 、人はワクワクするものです。
まして、自分の生き方や働き方を自由に選べるとしたら、どんなに素晴らしいことでしょう。
私は、会社員となった十数年前に、自由に選択することを放棄してしまいました。
それが、大人になることだと勘違いしていたのです。
しかし、フリーランスだろうが、組織に属していようが、人間は本質的には自由なのです。
もちろん、組織に属している以上、自分だけの都合で自由気ままに行動すること難しいですが、考え方を変えることで、「強制」されたという恨みを抱かず、自分の意思で「選択」したという納得感を持つことができるのです。
会社員は、毎日8時間くらい拘束されるので、物理的には不自由な面があります。
しかし、精神的には、いくらでも自由になれるのです!
以上
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